妹さえいればいい 4巻 感想
「僕は友達が少ない」の作者・平坂読先生のライトノベルです。基本的にラノベはアニメ化した作品のアニメになっていないぶんしか、読まないのですが、唯一「はがない」だけは全巻揃えました。それほどまでにハマった作品なので、同作者が書いたものならば、無条件に揃えてしまいます。
冒頭ではお約束になりつつある伊月のキ○ガイ小説からはじまります。鉄板ネタですね。自分以外あらゆるものが妹になった世界って……
登場人物の項目に「お母さん 僕の妹。44歳」って書いてありますから。
あとがきにもありますが、今回はかなり頭の悪い話が多いです(褒め言葉)
新キャラで下着マニアの漫画家・三国山蚕が初登場します。伊月の書く「妹のすべて」がアニメ化決定したので、メディアミックスでコミカライズもすることになったのですが、そのコミック版を担当する漫画家です。
この三国山蚕、美少女なのですがパンツをかぶらないと作品を描けないという残念っぷりです。ふだんはパンツをリボンのようにたたんで、頭につけているのですが、漫画を描くときになると変態仮面、あるいは雪原の青のようにパンツをかぶります。平坂先生は「はがない」の頃から徹底して残念な美少女を描きますね。何かこだわりでもあるのでしょうか?ヒロインの那由多も今巻はとくに残念な言動が目立ちます。
あ、でも、京や千尋はかなりマトモですね。作中でブッ飛んでるように描かれるのは基本的に天才タイプが多いような気がします。
作中のTRPG・クロニカクロニクルでは伊月のキャラクターが死亡し、新展開の予感がします。
登場人物にゲームをさせるのも「はがない」の頃からよくやってますが、こういうのはキャラクターに魅力がなければ、成立しないおもしろさだと思います。
平坂先生の書く魅力的なキャラあればこそですね。
炎立つ 大河ドラマ 感想
古代から中世にかけて奥州で栄華を極めた藤原氏のはじまりと滅亡を三部にわたってえがいた大河ドラマです。よく言われることですが、第三部では脚本家が変わり、出来が非常によくないです。一、二部の感想メインで書いていきます。
第一部 北の埋(うず)み火
奥州藤原氏初代・藤原清衡の父である藤原経清という武将が主人公です。このドラマを観るまで聞いたことのなかった人物ですが、非常に魅力的に描かれていると思いました。
通常、源氏は善玉として描かれることが多いですが、この物語では敵として登場し、源義家以外は浅ましく、卑怯な人物の集まりとして描かれています。
当時の平均視聴率が17.7%と振るわなかった理由に主人公の知名度の低さや、世間的なイメージとのズレがあるのかもしれません。
しかし、作品そのもののクオリティとはまた別の話ですね。少なくとも自分は、第一部、第二部は大河ドラマの中で上位に入るおもしろさだと思います。
藤原経清は幼い頃に母と別れ、奥州に移り住みます。父が朝廷から陸奥守の補佐官として任じられたからです。
陸奥守・藤原登任や後任・源頼義は奥州の金や権力に目がくらみ、奥州最大の豪族・安部氏に戦を仕掛けます。
まず無理難題をふっかけ安倍氏を挑発する、源頼義のやり方が陰湿です。年貢を倍増したり、安倍家棟梁の安部頼時に酒宴の席で芸をすることを強要します。頼義役の佐藤慶が非情な人物像を実にいい雰囲気で演じていると思います。
安部側は耐えるのですが、安倍頼時の子・貞任が源氏の罠にはめられてしまいます。貞任の首を要求され、耐えかねた安部は挙兵します。
余談ですが、映画の巨匠・黒澤明はこの安倍貞任の子孫らしいですね。家系図を遡ると貞任の三男に行き着くようです。
主人公の藤原経清は安部貞任の妹を妻にしており、安部とは親戚になっておりましたが、自身の役目に忠実に、源氏(朝廷側)につきます。
しかし、友人で同じく安部から妻をもらっていた平永衡が、源頼義に謀殺されたことに義憤を覚え、安部側に寝返ります。永衡の遺体と対面した経清は叫びます(第7話)
(平永衡の)首を切れ……首を切れーっ!!
殺されたなら殺されたらしく……首を切れーっ!!
首を、首を切れーっ!!
自らの手で永衡の首を切断し、それを抱え、経清は霧の立ち込める闇の中、陣を去ります。このシーンは作中もっとも印象的でした。これから経清が身を投じる戦いの過酷さ、待ち受ける悲惨な運命を暗示した見事な演出だと思います。
帰ろうぞ、永衡…
そなたが好きだった衣川へ…
陸奥の奥へ…帰ろうぞ
奥六郡じゃ…安部のもとへ…
ともに帰ろうぞ…のう、永衡…
帰ろうぞ……
藤原経清のウィキペディアを要約すると「平永衡と同様の危機が迫っていると判断した経清が再び安部氏に属した」とあります。
なにやら臆病な人物ともとられかねない表記ですが、大河ドラマでは読んで字のごとくドラマチックに描かれています。
中央のエリートがその地位を捨て、地方の虐げられている人々のため立ち上がる重要なシーンですが、その決断のキッカケは友の犠牲によるものなので、悲壮感をおびたものになっております。
そして義兄である安倍貞任と合流し、涙ながらに熱く抱擁します。
物語で戦いを描く以上、悲壮感と熱さの両輪が作品を名作へと昇華させるのではないかと思います。
黄海の戦いでハンニバルのアルプス越えよろしく、源頼義は冬に安部に戦いを挑みますが、逆に大敗を喫します。頼義は落ち延びようとしますが、藤原経清に見つかります。経清は見て見ぬフリをして見逃すのですが、頼義はコケにされたと逆恨みします。父親とは対照的に、義家はこのことに恩義を感じ、第二部で描かれる清衡との共闘の伏線となります。
ここで見逃さなければ後の悲劇は生まれなかったという、主人公が「やらかした」シーンですが、ここに関しては違和感がありますね。武士の情けを描いていますが、源頼義親子は殺さず捕えて都に送ればよいわけですから、見逃す理由がわかりません。物語の説得力よりも第二部への伏線を優先させたのではないでしょうか。
しばらく平和が続きますが報復を考える源氏が、出羽の豪族・清原氏と手を組みます。そして安部貞任の妻が源義家と内通し、安部は滅びの道を歩みます。
敗北した藤原経清は投降し源頼義の前にひきつれられます。再度、自分の部下にならないかと諭す頼義に対し経清は
豚め!!
なにが武門の棟梁じゃ、なにが源氏の大将じゃ
うぬが考えておることは、ただの欲得のみ!!
ひたすら朝廷にひざまずきよる安部に対して、和議をぶち壊し
陸奥へのいやしき下心にて、戦を引き起こした張本人じゃ
何千という此度の犠牲者はすべてうぬの、
計算高い欲得の血祭りに饗されたのだ
兵どもの血をすするケダモノ。
腐った贓物しか持たぬ、食い意地のはった豚め!!
豚の家来にはならん!!はよう首をはねられよ
頼義はかつて経清の部下だった男に斬首を命じます。この人選に頼義の残酷さがうかがえます。すぐに絶命しないよう、刃を岩にたたきつけギザギザにした刀で経清は処刑されます。
そして安部の館が焼かれ第一部は終わります。救いのない滅びを描いた壮絶なラストでした。
「冥(くら)き稲妻」
復讐劇です。源氏と清原氏に父・経清を殺された清衡が主人公です。清衡の母・結有は夫である経清の仇・清原に嫁ぎ家衡を産みます。清衡は清原の養子となっております。
親を殺され母が仇のものとなるという境遇は源義経とダブりますね。余談ですが「ますらお 秘本義経記」という漫画で、義経は心に闇を抱え復讐に燃えるダークヒーローとして描かれており、本作の清衡とどこか通じるものがあります。
清衡はいかにも主人公然とした、優等生っぽい村上弘明が演じておりますが、時折見せる心の闇がギャップになってとても魅力的でした。一部で経清を演じた渡辺謙とはまた違った魅力があります。敵となる異父弟・家衡を演じたのは豊川悦司です。苦労知らずで人を見下した嫌な若者を見事に演じています。
印象に残ったシーンは第18話。人を人とも思わない家衡の人物像が描かれます。寝屋に呼んだ女の遺体を発見された家衡は
死んでおるようでござるの
何のかんの言うて、手前のしたいようにさせぬのじゃ
それでついカッとなって首を絞めたら…
心配めさるな。
あとで手前の手下のものに始末させればよい
家衡は何かが欠落しているともとれる演出です。
ちなみに遺体はこれより前のシーンで登場するのですが、手を縛られ凄まじい形相をしています。一昔前の大河ドラマは手加減なしです。
同じく18話。清衡と家衡は碁を打ちながら幼き日の思い出話に興じます。家衡が衣川で溺れた時に清衡に助けられたときの話。家衡は清衡の背中が頼もしく思えたと、それ以来、兄をたよりにしていると。二人は笑い合います。そして清衡が席をはずしたあと、家衡は不気味な表情でつぶやきます。
「ぶっ殺す」
このシーンはインパクトがありました。視聴者側にゆっくりと振り向いたのちのセリフですから、まるで自分が言われているような迫力です。直前までほがらかないい話だったのに、いきなり冷水をかけられた気分です。
一方、清衡はあのとき溺れていた家衡がこのまま死なないかと見ていたら、誰か人が来たので慌てて助けたのだと母に語ります。
このドロドロした表面上は仲良くしながらも、相手を心底憎んでいる感じは、まさしく戦乱の世ですね。兄弟で殺し合う物語なのだから、このように心底憎しみ合っているように描くべきです。かなり見ごたえのあるエピソードでした。
19話では清衡の妻子が家衡に殺されます。この藤原清衡という人物、とんでもなくハードな人生を送っていますね。父を鋸引きで殺され、その仇に母を奪われ、仇と母の間に生まれた弟に妻子を殺される。精神が崩壊してもおかしくないレベルです。
心に闇を抱える清衡とは対照的な、心清らかな、明るくやさしい妻。この女性が清衡の心の光になっていたことは間違いなく、だからこそ殺されたとき憎しみの炎が一層増します。
最終話の20話で兵糧攻めをおこない、清衡は家衡に勝利します。命乞いをする家衡と一言も交わすことなく、斬首するシーンもかなりインパクトがありました。
「兄者ーーーーー!!!!!!」
第一部の誇り高い経清の死に様とは対照的な惨めな死でした。
第二部は8話しかないので最後のほうは少々かけあしでした。あと2~3話あってもよかったとは思いますが、一部とともに傑作といっていい出来でしょう。
3部の感想は割愛します。
モジャ公 藤子・F・不二雄大全集
藤子・F・不二雄先生の漫画の中でもファンの間でかなり評価の高い漫画です。
先生は21エモンの連載を続けたかったらしいですね。雑誌の連載を頼まれたとき、21エモンみたいなのをやらせてくれと言ってモジャ公がはじまったそうです。以下、巻末のあとがきより
(21エモンは)作者が面白がって書いたわりには読者が面白がってくれなかった。連載は終わらざるを得ません。書き残した材料は、まだまだあったのに。ま、よくあるケースです。
そこへ「ぼくらマガジン」から新連載の依頼がありました。低学年読者を対象としたギャグまん画を、ということです。そこで、ま、言ってみたわけです。
「”21エモン”を続けたいんだけど。もちろんキャラクターも設定も変えます。でも、中身は二番煎じになるけど。いいかな?」
”モジャ公”はこうして生まれました
主人公の少年、宇宙生物、ロボットの三人組は21エモンと同じキャラ配置です。彼らが宇宙のさまざまな星を冒険します。ちなみに宇宙船で冒険する海外ドラマ「宇宙船レッドドワーフ号(1988年-1999年)」という作品があり、自分はこれが大好きなのですがキャラ配置やキャラ同士の距離感なんかは通ずるものがあると思います。それでは気になったエピソードをいくつか
自殺集団
オットーが初登場します。この作品でもっとも印象的なキャラクターでした。トリックスターのポジションで、主人公の空夫たちはこいつのせいでアクシデントに見舞われます。悪いヤツなんですが、どこか憎めません。
空夫たちはフェニックスという星に到着します。フェニックスは一万年間、誰も死んでいない星で住民たちは年もとりません。死を未知なものとして住民はとらえています。死を見世物にして一儲けしようとオットーは空夫たちに持ちかけます。もちろん本当に死ぬわけではなく、途中で逃げ出すつもりだと言いくるめて自殺フェスティバルを企画します。こうして、自殺が国をあげての一大イベントになるあたり、かなりブラックユーモアがきいていますね。
空夫たちは徐々に外堀を埋められ、逃げることができない状況に追いやられます。自殺フェスティバル当日、ラジコンで無理やり体を動かされ、ギロチンにむかう空夫たちを救ったのは映画監督のタコペッティでした。
タコペッティは会場で戦争の映像を流し、自殺フェスティバルから観客の興味をそらします。自殺より戦争の方が刺激的に感じた観客はそちらを見に行き、会場は誰もいなくなります。この展開もかなりブラックユーモアですね。主人公たちの機転によって、危機を脱したわけではないのでカタルシスはないのですが、皮肉が効いたSFらしい展開だと思います。
天国よいとこ
タコペッティに連れられてシャングリラという星を調査するため、モジャ公にビデオを持たせて、偵察に行かせます。ビデオの映像を同じコマ割りで表現する演出はさすがですね。星の不気味さや、モジャ公が豹変していく恐怖が増します。まるでブレアウィッチプロジェクトのようです。モジャ公のほうが30年早い作品ですが。
失踪したモジャ公を追い、空夫とタコペッティはシャングリラに行きます。シャングリラは一見豊かで人々は幸せそうに見えますが、実際は誰もがすでに死んでいます。シャングリラは脳に信号を送り、実際にないものをあるように感じさせた、偽りの楽園でした。管理されたヴァーチャル世界を、マトリックスの30年前に物語のテーマにしています。
もらったつもり
食べたつもりで
生きてるつもり
ソンナノイヤダー
地球最後の日
最終話です。冒頭こそ治安が悪い星際都市・ポンコンからはじまりますが、物語の舞台は地球になります。地球にドクロ星が接近して、世界中が大パニックになります。オットーが預言者に化けてノア教団というあやしげな宗教を開き、人々はそれにすがります。いまでこそ、新しさはないですが、オウム事件とか以前に考えて、形にしているわけですから藤子・F・不二雄先生の頭脳はとんでもないですね。
SF・異色短編の「箱舟はいっぱい」でも近いシュチュエーションは描かれましたが、テレビの放送事故で地球の危機があかるみに出たり、それを見た人々の浮き足立った描写などは秀逸ですね。
空夫たちがオットーに隕石について詰め寄るさいのやりとりなどは漫才のようで面白かったです。
「おまえのために死にかけたのはこれで二度目だ、もうだまされないぞ!」
「地球へ来てなにをたくらんでる」
「ハクジョウシロ!ドウセウソダロウケド」
「うそつけ」
「まだなにもいうてまへんがな」
お坊さんと神父と神主が隕石衝突をめぐり、どこの神にすがるかでケンカをはじめ、それを見たオットーが大爆笑するシーンなんかはすごく皮肉がきいてると思います。
たんまりとお布施を手に入れたオットーは逃げようとします。空夫たちにわざとあとをつけさせるのですが、このときオットーはベンツに乗っています。アザラシだかオットセイだかわからないような、へんな宇宙人がベンツを運転している絵はシュールで、かなりツボでした。
ドクロ星は巨人星のおもちゃで、隕石の衝突は自分が仕組んだものだとオットーは種明かしします。このときのオットーの表情は狂気じみています。空夫たちだけでなく、地球人全体をかついだ大悪党の顔といったところでしょうか。
モジャ公の手で計画は失敗し、オットーは冒頭で登場したポンコンの犯罪者たちに追われる身となります。
そして空夫たち三人はまた宇宙へと旅立ちます。
少年SF短編 1巻 藤子・F・不二雄大全集
少年SF短編1巻の感想です。この巻に収録されているのは
- ポストの中の明日
- ひとりぼっちの宇宙戦争
- おれ、夕子
- 未来ドロボウ
- 流血鬼
- ふたりぼっち
- 宇宙船製造法
- 山寺グラフィティ
- 恋人製造法
それでは印象に残った作品をピックアップ
ポストの中の明日
主人公は部分的にですが、未来を見る能力に目覚めます。その能力は必ずしも主人公の生活に豊かなものをもたらすものではありませんでした。しかし、友人とハイキングに行き、遭難した際、未来の夕日を目撃します。そこから方向を割り出し無事生還するというストーリーです。
この話を大人になってから読んでファーストガンダムみたいだな、と思いました。ファーストガンダムの主人公アムロは、ニュータイプという超能力に近い才能に目覚めます。戦争には役立つ能力でしたが、人生に豊かなものをもたらすものではありませんでした。しかし、最終的にその能力で仲間たちを最終決戦の場から脱出させ、自身も生還します。
話の筋は近いものがあると思います。
ガンダムは1979年の作品ですので「ポストの中の明日」のほうが4年早く発表されています。ガンダムの富野監督がパクったとはさすがに言いませんが、40年近く続いているビッグコンテンツに先駆けて同レベルの発想をしている点はさすがですね。
宇宙船製造法
宇宙旅行に出かけた少年、少女が宇宙船の故障により文明のない星に不時着します。少年少女はその星で生活していくため右往左往します。
「ポストの中の明日」がガンダムならこちらは「無限のリヴァイアス」を思い出しました。もちろんこっちのほうがだいぶ早くに発表された作品ですが。
宇宙船製造法も無限のリヴァイアスも宇宙版十五少年漂流記といったコンセプトのもとに作られているのは 明白ですので、似てしまうのも仕方ないと思います。
特に相似な点は、最初に暴力でグループのイニシアティヴをとろうとする少年が現れるのですが、クーデターに会い、次にトップに立った少年が、その反動からか過剰なまでに秩序を守ることをグループに強要する点です。
無限のリヴァイアスの脚本家である黒田洋介氏はもしや、「宇宙船製造法」にインスパイアされてリヴァイアスを…ってこともなきにしもあらずではないでしょうか。
この作品、最大の見せ場は主人公が星を脱出するため、無理やり船を操縦するシーンです。船体の破損箇所を補完するため、船全体を流氷に沈めコーティングしようとしようと船を動かすのですが、リーダーの少年は賭けみたいなことは許せないと反対し、主人公に銃を向けます。
脱出のアイデアがまずすごいですし、主人公とリーダーの少年との緊迫感あふれるシーンは読み応えがあります。
山寺グラフィティ
死後婚という民俗風習を取り扱った伝奇SFです。「旅人還る」の計画名がフダラク(補陀落)計画であったりとか民俗学にも明るい藤子・F・不二雄先生ですが風習そのものを題材にした作品は記憶にありません。ミステリアスで情緒溢れる漫画だと思います。もっとこの手の作品を残して欲しかったですね。この本収録の「おれ、夕子」もですが、娘を失った父親の悲しみがおこさせる行動が切ないです。
藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編 4巻
SF・異色短編のレビューも最後の4巻になりました。しかし、少年SF短編も3冊残っていますので、これで終了って感じはしませんね。4巻に収録されているのは
- ドジ田ドジ郎の幸運
- ヒョンヒョロ
- 自分会議
- 換身
- 箱舟はいっぱい
- ウルトラ・スーパー・デラックスマン
- T・Mは絶対に
- 幸運児
- 大予言
- 老雄大いに語る
- 光陰
- オヤジ・ロック
- 一千年後の再会
- ある日……
- 俺と俺と俺
- カンビュセスの籤
- 宇宙人レポート サンプルAとB
- 並平家の一日
- 昨日のおれは今日の敵
- 殺され屋
それでは気になった作品というか、これは語らねばならんだろうという作品の感想です。
ヒョンヒョロ
大全集ではじめて読みました。
宇宙から来た大うさぎがマーちゃんに「ヒョンヒョロをくれないと誘拐する」といった脅迫状を渡します。
この作品の大うさぎは一見、Q太郎やドラえもんのように「違う場所から来た友達」のように見えます。
物語序盤、親が大うさぎなんているはずがない、見えていないといったやりとりのシーンは藤子先生得意のコメディといった感じがします。大人向けの話なので有性生殖がどうのこうのといったやりとりもありますが。
警察は、大うさぎを逮捕しようとするのですが、大うさぎの圧倒的な実力に太刀打ちできません。大うさぎの表情や言動に狂気が見え隠れします。
ヒョンヒョロとはなんなのか大人たちにはわからず、手に入らないことがわかると、大うさぎは地球からマーちゃん以外の人間を誘拐するというオチです。
マーちゃん以外の人間を誘拐する展開は、脅迫状をマーちゃんに渡していることから、はやいうちに予想はできました。しかし、大うさぎの豹変から見開きで表現される誘拐後の世界は圧巻でした。
ハーメルンの笛吹き男を思い出しました。笛吹き男は街から子供を誘拐しましたが、大うさぎは地球からマーちゃん以外を誘拐するというスケールの違いはありますが、どちらも最初はわりと友好的ですし。
このあとマーちゃんがどうなってしまうのか、そう考えると後味の悪さは藤子・F・不二雄先生の作品の中でも上位に入ります。
ウルトラスーパーデラックスマン
大全集SF・異色短編1巻収録の「カイケツ小池さん」の続編にあたります。
正義感は強いけれど小心者だった小池さんが、圧倒的なパワーを手に入れウルトラスーパーデラックスマンとなり、独善的な正義をふりかざし暴走します。
小池さんには自衛隊の攻撃どころか核さえも無力です。この圧倒的な実力はヒョンヒョロの大うさぎに通ずるものがあります。
国は小池さんを放置し、彼の家のまわりは治外法権となります。このあたりのディティールの描写が丁寧ですね。国に軍隊以上の戦力を持った一個人がいる。そのシュチュエーションがすでにおもしろいです。
小池さんはテレビに映ったアイドルに興味をもち、テレビ局に電話をかけ、呼び出し、自分のものにしようとします。誰も小池さんには逆らえず、アイドルも覚悟を決めています。子供の頃このシーンを読んだとき、小池さんのゲスな行為に反吐が出そうになりましたが、大人になってから読んでもやっぱり胸くそが悪くなりますね。
最終的に小池さんはウルトラスーパーデラックスがん細胞におかされ、病死するというラストで物語は幕を引きます。
この唐突で皮肉なオチはウェルズの「宇宙戦争」から着想を得ているのではないでしょうか。
カンビュセスの籤
古代ペルシアの兵士・サルクはある籤(くじ)に当たります。この籤は行軍中に食糧不足におちいったペルシア軍が、10人単位で籤を引き、当たった仲間を食べるというものです。サルクは逃亡し、その途中、見知らぬ土地に迷い込みます。
サルクが迷い込んだ先は核戦争後の未来で、エステルという女の子に助けられます。このミステリアスな雰囲気をまとった少女は、この世界でたった一人で、地球外生命体にSOSの信号を発信しながら、助けを待っています。籤に当たった同胞を食料とし、コールドスリープを繰り返しながら。
遠い未来の世界でも、古代人と同じ道程を歩んでしまう人類の愚かさ、タイムスリップをしても籤を引く運命が待っている皮肉、とても悲しい物語だと思いました。
サルクは未来世界でも籤を引きますが、結果を見ることなく逃亡します。
あたしたちには生きのびる義務があるのよ。
人間からビールスにいたるまで、植物も含めて
すべての命あるものの行動の目的は、一点に集約されるのよ
生命を永久に存続させようという盲目的な衝動……
ただそれだけ
この世にありたいということ、あり続けたいということ、ただそれだけ
そして今やあたしたちは、有史以前から地球上に発生したあらゆる生命体の代表なのよ
一人でいいの、一人生き延びれば充分なの
クローン培養でコピーは無数につくれるわ
さらに、遺伝情報の制御で進化のあとを逆にたどり、地球の生命の全種属を再生させることも可能なの
だから、一日でも永く生きる責任が……
おねがい、最後のチャンスなのよ
おねがい……
サルクは自身の体を役に立てようと戻ります。しかし籤の結果はエステルが当たりを引いていました。サルクはエステルを食べてコールドスリープをする側になります。
エステルが自身を食料(ミートキューブ)にする方法を説明しながら物語は終わります。このシーンは「ミノタウロスの皿」同様、食べられる運命にある少女の一糸まとわぬ姿で、すさまじいエロスを感じるという点は共通しています。しかし、ミノタウロスの皿のミノアが喧騒の中消えていくのに対し、エステルは静かに運命を受け入れています。
このときのエステルの悟りきった表情が印象的です。長い月日と、いままで自身が食べてきた同胞の姿が彼女を割り切った考え方にさせたのだなと思うと、いっそう切なさが増します。
宇宙人レポート サンプルAとB
世界でもっとも有名な悲恋といっても過言ではないロミオとジュリエットですが、当人たちの燃えるような情熱とは対照的な、宇宙人の覚めた視点がギャップになって相当おもしろいと感じました。
原作は藤子・F・不二雄先生ですが作画は違う人がしています。巻末のインタビュー記事によると
あの有名な古典の”ロミオとジュリエット”ですね、あれを非常に化学的に即物的に散文的にというか離れたところから描いてみたらどうかという着想は前からあったんです。でもやっぱり絵柄の問題もありまして、どう考えてもボクの絵だとぴったりこないわけです。コロコロとマンガチックだし、何かそのもっとシリアスな感じが欲しかったし、内容が散文的で殺風景なものであればあるほど、絵の方はきれいなきれいな物にしたかったんです。
別の人の作画だったり、シェイクスピアの作品をベースにしたりと実験的で、異色中の異色作ですが、この作品をベースに少年SF短編3巻収録の「征地球論」を描いたのではないでしょうか