漫画、小説、映画などの感想

漫画や小説など最近読んだ本、あるいは映像作品などの感想を書いております

エスパー魔美 藤子・F・不二雄大全集1巻 感想

1話25ページ前後で1つ1つの話のクオリティが、T・Pぼんに負けないぐらい高いと思います。
藤子・F・不二雄先生の作品の中でもかなり毛色が違いますね。女の子が主人公という点ではチンプイも同じですが、あちらはギャグ色が強いのに対し、エスパー魔美はストーリーに重点をおいている印象を受けます。困っている人を超能力で助けることによる登場人物の心境と状況の変化が丁寧に描かれているというだけでなく、1話目の最後の引きや、魔美が少しづつ能力を使いこなせるようになっていく描写などは、ストーリー漫画、つづきものならではですね。
1話完結の形をとりながらも、全体としてストーリーがある特撮やドラマなんかに多い作劇法ではないでしょうか。1巻に関してはそんな印象を受けました。おそらく従来の作品の読者層よりも上を狙っているからなのでしょう。

各話感想

それでは気になったエピソードをいくつかピックアップして感想を

エスパーはだれ?


前述のラストの引きが印象的でした。今後の展開に期待と不安を持たせるような終わり方は、藤子・F・不二雄先生のほかの作品では見られないものだと思います。

勉強もあるのダ


わざわざ書くほどのことでもないのですが、自尊心と食欲の狭間で揺れるコンポコがかわいかったです。食欲に負けて目をまわしながら食べ、その後自責の念の涙を流す一連の流れが好きです。こんなかわいくて笑えるシーンはなかなかないですね。

1千万円・3時間


最初読んだときはちょっと釈然としなかったエピソードです。長年マジメに働いてきたサラリーマンの中年男性がついつい魔が差して、会社から盗んだ1千万円を使い込んで自殺しようとします。魔美は自殺をとめるため1千万円を工面しようと奔走します。「名画(?)と鬼ババ」で登場したハザマ・ローンの社長さんに絵が売れて工面できたところで話は終わるわけですが、その後が描かれていません。
1千万円はおいそれと渡していい金額ではありませんし、いくら根っからの悪人ではないとはいえ、使ってしまったのは本人です。この男性がお金を魔美から受け取ったとして、分割払いでもいいから、返済したりとかしたのでしょうか。そもそも会社から盗んでから、使いきるまで4日間あったと言ってますし、引き返そうと思えばできたはずで同情できない設定でした。このような感想を抱く自分のような人間を想定して、お金が工面できたところでストーリーを終え、渡すところを描いてないのだと思います。

しかし、この話はこの展開でいいのだと思います。よくよく考えてみると、この漫画の読者層は10代ぐらいの子で、汚れた大人の自分みたいなのに向けられてるものではないんですね。やはり子供に向けて描く以上、ハッピーエンドの良心的なストーリーであるべきです。

ただいま誘拐中


印象的なシーンがありまして、魔美が誘拐犯に見つかってぶたれます。魔美は怯えてしまい、泣きながら許しをこいます。この描写はさすがだと思います。リアルな中学生の女の子って感じがしますね。あとがきによると

ごく、ふつうの女子中学生。顔も頭脳も十人並。ちょっと親切の度が過ぎて押しつけがましくなるのが欠点だが、世の中に背を向けてる人を、知らん顔で見すてることなど絶対できない。時には人間の心の暗闇にたじろぐこともある。手にあまる難題をかかえて、ベソをかくこともある。それでも、なお…。という主人公の気持ちを共感してもらえれば大成功というわけです

キャラクターに血が通っていると思いました。

魔女・魔美?


クラスメートの幸子さんに竹長くんと付き合うなといった脅迫状が送られてきます。脅迫文は幸子さんの行動をすみずみまで把握ししており気味の悪いものですが、魔美が送った犯人だと疑われてしまいます。魔美が皆から避けられる中、高畑さんだけが魔美を信じます。高畑さんは魔美の超能力を知る唯一の人物で、魔美ならば幸子さんの監視など容易であると知りながらもです。高畑さんの友情に魔美が涙するシーンがさりげなく描かれています。わざとらしく、ここで感動しろよ的な描き方をしないのがすばらしいですね。こういった演出が藤子・F・不二雄先生の作品の品格を高めていると思います。
高畑さんが解決に乗り出すのですが、まるで遊んでいるように見える描写はパーマンのパーやんのようですね。藤子キャラでスペックの高いキャラはパッと見、遊んでいるように見えても、事件解決に向けて着実に進んでいるのです(`・ω・´)キリッ
そしてインパクトが大きかったのが最後のコマ。犯人の予想はつきましたが、見せ方ひとつで読み手に強烈な印象を残すのだなと思いました。かなりゾッとしました。

わが友・コンポコ


コンポコと高畑さんががんばる話ですね。高畑さんはコンポコと仲良くしたいのですが、コンポコはそうじゃありません。でも、魔美がピンチのときは力を合わせる展開が最高ですね。
魔美の裸体を想像しているときに、本人に心をのぞかれてしまったときの高畑さんにはかなり同情しました。死にたくなるレベルの恥ずかしさでしょうね。

四畳半王国見聞録 感想

森見登美彦はとても好きな作家で、小説はほとんど読んでいますが、この作品はあまり楽しめませんでした。オムニバス形式の作品で、それぞれのお話が少しずつリンクしていますが、作者が何をしたかったのか、見えてきませんでした。
新釈走れメロス」に登場した芹名や芽野が再登場しましたが、そもそも「新釈走れメロス」を読んだのが何年も前のことだったので、どんなストーリーでどんなキャラだったのか忘れており、話に入っていけませんでした。メロスを読んでいない人には、楽しめないと思います。
四畳半神話大系」からの登場人物もいますが、やはり読んでいない人に向けて書いているわけではないお話ですね。森見ファン向けだと思います。再登場して、なにか興味深い展開になるわけでもなく、ストーリーよりディティールで笑わせようとしている印象を受けます。先の展開をきちんと考えず書いて、書いているうちに自分でも何を書いているのかわからなくなったんじゃないだろうかと勘ぐりたくなります。

もちろん楽しめたエピソードがないわけではなく、大日本凡人會はおもしろかったです。
この会はその才能ゆえに他者から理解されない、不遇の天才たちが集まって凡人を目指す会です。その能力を世のため人のため使わないという鉄則があるのですが、メンバーの一人である無名くんが、その方針に異を唱えます。天才たちと言っても、その能力はバカバカしいものばかりで、モザイクをあやつる、影のうすさ、数式を具現化する、マンドリン、地面をへこます能力などで、異能者と言ったほうがしっくりくるかもしれません。
メンバーの数学氏は「妄想的数学証明によって現実世界に物質を出現させる」能力で自身の恋人の存在を証明しようとしますが、無名くんの策略で別の女性を恋人と勘違いします。その女性と無名くんに諭され、大日本凡人會は有意義なことにその才覚を使おうかといったところで、話は終わります。
このエピソードで、数学氏が別の女性を自分の恋人と勘違いしているシーンは笑えました。

「我々は男女としてお付き合いしているのでしょうか?」
「えーと、お付き合いしていないのではないでしょうか?」
(中略)
「その理由というのはつまり、世界に掃いて捨てるほどいる男たちの中から、あなたを特別な一人として選び出す理由。この人であればきっと私を幸せにしてくれると確信とまではいかなくても仄かに予感できるような兆候。この人こそ私のヒーローだと嘘でもいいから信じさせてくれるような素敵なエピソード。あの茶山で出会って以来、私たちの関係にそんな要素がただの一つでもありました?あったのならば教えてください。少なくとも私には見つけられませんでした」

こっぴどい振られ方ですよね。

全体としてみるとよくわからない作品でしたが、最終話・四畳半王国開国史は胸にせまる一節があり、よくわからないうちになんだか感動させられてしまいました。

家の居間にシーツやソファを使って無人島を作っては弟たちと遊んだ日々。小さな居間が我々の想像一つで太平洋の孤島にも、月面にも、ジャングルの奥地にもなった。一人この地に辿りつき四畳半王国という世界を築き上げ、畳の上のロビンソンを気取るようになった今でも、あの日の楽しさをありありと思い出す。あの頃、世界はたいへんに小さく、それは内側に無限に広がっていた。世界の果ては家の中にもあり、庭にもあり、公園の片隅にもあった。今となっては霞んで見えるあの時代と、この四畳半はなんとに通っていることであろう。かつて中国では古代の王朝が理想の王国とされていた。余は家の今で毎日冒険していたあの頃を神話の時代のように思い出すのだ

子供の頃、ベッドのシーツを海に見立てて旅立つ妄想をしたことを思い出し、懐かしい気持ちになりました。
「太陽の塔」や「ペンギン・ハイウェイ」なんかもそうですが森見作品はバカバカしいノリで物語が進むのに、ラスト近くでたたみこむように、胸にグッとくる展開に持って行ったりしますね。

T.Pぼん 藤子・F・不二雄大全集1巻 感想

藤子・F・不二雄先生の作品の中でとくに凄みを感じるのがSF短編とモジャ公とこの「T.Pぼん」です。読みきり形式なのに1話1話のクオリティが相当高いというとんでもない漫画です。
この漫画は、様々な時代の様々な境遇の人々が登場する娯楽性の高い作品ですが、いまいち知名度が高くないのはなぜでしょう?
連載していた雑誌がマイナー雑誌で後半は不定期連載になったからでしょうか?
自分としては、子供の頃読んだときは気になりませんでしたが、今回、数年ぶりに大全集で読んでみるとタイムパトロール隊の設定の甘さが引っかかりました。
やはりタイムパトロールの仕事が「過去に行って、過去の人物を助ける」というのが倫理的にどうなのか?と思いました。歴史を変化させない人物を、選んで助けるわけですがそういう人物となると世の中に影響をあたるような仕事もせず、子孫を残さず一生を終える人、あるいは子孫を残しても、その子孫がまったく歴史にかかわらず、2~3代ぐらいで途絶える人でしょうか?
こう考えると切ないですね。しかも、タイムパトロール隊があまり有意義な仕事をしていないような印象を受けます。
また、タイムパトロール隊は一銭にもならない慈善事業をしているわりに、一話でぼんを消そうとします。自分たちの過失でぼんにタイムパトロールの秘密を知られたのに、あまりにも身勝手です。100歩ゆずって、消されるべきは失敗した隊員のリームのほうでは……ゲフンゲフン
タイムパトロール隊はおかしな組織なので、この作品を楽しむコツは、あまり深いことを考えず「過去の困っている人を助ける話」と割り切って読みましょう。そうして読めば、間違いなくF先生の作品の中でも上位に入るおもしろさだと思います。
それでは気になったエピソードをピックアップ。

消されてたまるか

第1話です。物語の導入がうまいですね。主人公ぼんが友人と遊んでいたら、あやまってマンションからベランダから突き落とし、殺してしまいます。嘆いていると時がさかのぼり、元通り友人は何事もなかったかのように生きています。ぼんはキツネにつままれたような気分になります。
まず、友人を殺してしまうのがインパクトありますよね。そして時がさかのぼることでどうしたことかと興味がそそられます。
話題はそれますが、物語の導入部分と言えば、以前友人と話題になったのですが、大長編ドラえもん「のび太の魔界大冒険」の導入も相当うまかったと思います。自分そっくりの石像を見つけるというミステリアスでホラーチックな冒頭は一気に引き込まれてしまいました。
ぼんがタイムパトロールの秘密を知ってしまったことで存在を消されそうになるのは、前述した通りです。

魔女狩り

中世ヨーロッパの名もない市井の人がメインで登場するお話ってあんまりないですよね。そもそも、中世ヨーロッパ自体、あまり物語の舞台になる機会が少ないと思います。あまり身近に感じられないからでしょうか?
日本の中世期ですと、時代劇などでありふれていますし、国産RPGの影響を受けたエセ中世ヨーロッパ風ファンタジーも世にありふれておりますが、中世ヨーロッパそのものですと、あまり記憶にありません。映画ならそこそこありますが、その場合でも誰でも知っている英雄が主人公であることが多いです。なのでこのお話は新鮮に感じました。
婚約者のいる森の女の子・セリーヌが横恋慕している男・フェルナンに陥れられます。セリーヌが魔女狩りで殺されてしまう運命を、ぼんたちが阻止するお話です。フェルナンはセリーヌが自分のものにならないことに腹を立て、嘘の証言をしセリーヌを魔女裁判にかけるのですが、この男の自分勝手で無教養な感じがいかにも中世って感じがしますね。こんな人、現代にもいますけども。
セリーヌがすんでいる小屋も地面にワラが落ちていたりして、生活感があっていいですね。森の動物たちと仲良しなところがスクエニのRPG、ロマンシングサガに登場するクローディアっていう女の子みたいでちょっとなつかしい気持ちになりました。

アドルフに告ぐ 手塚治虫

コンビニのワイド版で読了しました。手塚漫画はそこまでたくさん読んでいるわけではありませんが、手塚先生の作品の中でも、かなりうまくまとまった傑作だと思います。

あとがきでページ数の都合上、イスラエルを舞台が変わってからの話はかなりかけ足だった旨が語られていますが、エピローグだと思って読んだのであまり気になりませんでした。

そのあとがきに具体的にどう話が進んでいくか書いてあり、それを読んでしまうと、当初の予定どおり描いてほしかったな、とは思いますが、峠草平とランプの決着ぐらいしかモヤモヤは残りませんでした。

いったいこの漫画の主人公は誰なのかな、と思います。

自分は狂言回しだと言う峠草平が、一番しっくりくるような気がしますが、アドルフ・カウフマンの描写もかなり多いです。対照的にアドルフ・カミルは思ったほど多くはなかったですね。

物語を読むとき感情移入できるかどうかは重要なファクターですが、峠は序盤で弟と関わりがあった、ドイツ人の女性を無理やりといった感じで犯し、女は自殺します。そのエピソードがあったせいか、、峠は好漢っぽく描かれていますが、そこまで感情移入はできませんでした。女はゲシュタポであるランプの娘だったので、ここでランプと峠の因縁ができるのですが、それでもいらないエピソードのような気がしました。

カウフマンは論外として、カミルは感情移入しやすい善良な人物として描かれますが、イスラエルでは残酷なテロリストになっています。

たぶんこの物語は特定の人物に感情移入して読むタイプの物語ではなく、一歩下がって達観したような感覚で読むのが正解なのでしょう。

作品のテーマとしてまず感じたのは戦争は人を変えるということです。このテーマはカウフマンによって、多く描写されていますね。

気が弱くやさしいカウフマンが、親友の父を殺し、ユダヤ人を虐殺し、親友の婚約者をレイプするような冷酷な人物になっていくさまが描かれます。

カウフマンは、環境によって考え方が変わる普通の人ですね。読んでいるとかなりの小人のようにも感じますが、たぶん普通の人なんだと思います。
正義とは何かというのもテーマになっています。作中では戦争をするお題目のように語られます。カウフマンはこう言います。

おれの人生はなんだったんだろう

あちこちの国で正義というやつにつきあって

そして何もかも失った…肉親も…友情も…おれ自身まで…

おれはおろかな人間なんだ

だが おろかな人間がゴマンといるから

国は正義をふりかざせるんだろうな

正義とはじつに虚しい響きです。

この物語の最後は二人のアドルフが殺し合い、アドルフ・カウフマンが死にます。そしてアドルフ・カミルはパレスチナの軍人としての人生を終え、除隊した直後にテロによって死にます。じつにむなしいラストでした。テロなんかは連載当時より、現代のほうが深刻に感じるかもしれませんね。

憎しみの連鎖はどこかで断ち切らねばならない。

それがこの作品最大のテーマなのかもしれません。

パーマン1巻 藤子・F・不二雄大全集

1967年開始だけあって古さはいなめませんが、ギャグとは言えヒーロー漫画で、毎週読みきり形式で連載していたのだから、スゴイですよね。

それでは気になったお話をピックアップ。

パーマン誕生

ちょっとびっくりしましたね。第一話がこれでいいのか?っていうくらいアバウトな展開で、主人公のみつ夫がパーマンになります。

バードマン(この時点ではスーパーマンと名乗っています)が居眠りしてしまい、ヒーローになる人物をさがすノルマを達成できなそうだから、たまたま近くにいたみつ夫にパーマンセットをたくします。

こんな適当な感じなのに、パーマンの正体がバレたら動物にするって、冷静に考えるととんでもないやつですね、バードマン。

わたしの命はねらわれている?

パーやんが大富豪の人間不信をなおす話です。パーやんは家族の絆を取り戻させるため、わざと憎まれるようにふるまいます。

やさしく機転のきく男ですね、パーやんは。パーマンの作中のみならず、藤子キャラ全般の中でもトップクラスで頼りになる男ではないでしょうか。余談ですが大人向けの藤子漫画「中年スーパーマン左江内氏」の最終話でもパーやんは登場し、左江内氏を導きます。

パーやん、かっけぇ…

生きうめパーマン

パーマンたちが建設中の銀行の鉄骨をジャングルジムにして、鬼ごっこ遊びしていたら、悪いやつらのたくらみに巻き込まれるエピソードです。

多くの藤子作品ではヒロインはたしなめる役ですが、パー子はいっしょになって鉄骨で鬼ごっこするのが新鮮でした。U子さんタイプですかね?

おてんばでかわいいと思いました。この巻収録の「やさしいやさしい女の子」では料理や裁縫の腕が残念なのも発覚します。でも、それがいいんです。

かわいいゼ、パー子!

パーマンがけっこう苦戦するエピソードで、それもなかなか新鮮でした。

パーマン全員集合!!

バードマンは適当ではなく、じつはきちんとパーマンにふさわしい人材を選んでいたというあとづけ…じゃなくて、衝撃の事実が明かされます。パーマンセット(この時点では制服とよんでいます)を奪われ、動物にされそうなミツオを助けるため、ほかの3人のパーマンが奮闘する読み応えのあるエピソードです。

ここでもパーやんの機転が決め手となります。くつろいでいるように見えて、実は情報収集しているとは、パーやんはほんと頼りになる男です。

コピーロボットの反乱

コピーロボットがみつ夫くんに嫌なことばかりやらされるので、みつ夫をこらしめようとする話です。
自分の鼻を白く塗ってみつ夫の鼻を黒く塗り、みつ夫がコピーロボットだと勘違いさせます。記憶を共有してるので、勘違いしているのだといった具合に言いくるめます。このアイデアって膨らませたら、けっこう怖い話になりますよね。
藤子・F・不二雄先生のSF短編で「俺と俺と俺」という自分のクローンができる話がありますが、希望の持てる明るい話でした。
そういうのではなく、ドラえもんの自分の影と入れかわるエピソードみたいに自分がクローンと入れかわるんじゃないか、あるいはもう入れかわっているのではないかという恐怖を先生が描いたら、かなりスゴイ作品になったのではないか。そんなふうに思いました。