藤子・F・不二雄大全集 SF・異色短編 3巻
SF・異色短編のレビューも3巻目に突入です。3巻に収録されているのは
- ぼくの悪行
- メフィスト惨歌
- 神さまごっこ
- あいつのタイムマシン
- いけにえ
- 超兵器ガ壱號
- テレパ椎
- 旅人還る
- 白亜荘二泊三日
- 福来たる
- 求む!求める人
- 倍速
- 侵略者
- マイホーム
- マイシェルター
- 裏町裏通り名画館
- 有名人販売株式会社
それでは気になったエピソードをピックアップ。ネタバレを含むので未読の方は注意してください。
メフィスト惨歌
この漫画はどんでん返しのアイデアが秀逸でした。主人公は悪魔に願いを叶えてもらう代わりに、死後に魂をわたすという契約をするのですが、知識が乏しい悪魔を出し抜く手腕が実に見事でした。
主人公の願いのひとつに、幼なじみの女の子もふくまれるのですが、悪魔にその願いを認めさせるために、人間の値段を語るくだりはSF・異色短編集2巻収録の「値ぶみカメラ」における「本価」ですね。しかし悪魔は彼女の「産価」を肩代わりするハメになります。
ラストシーンは「どちらが悪魔かわからない」といったところでしょうか。悪魔はどこか怪物くんのドラキュラに似ていて、愛嬌のあるキャラなので気の毒になりました。
超兵器ガ壱號
巨大な宇宙人ガリバは日本軍の軍人として戦争に参加し、彼は救国の英雄となります。大長編ドラえもんの「のび太の小宇宙戦争」は、この作品がベースになっているのではないでしょうか。
この巻に収録されている「倍速」などにも思うことなのですが、オチからさきに物語を作る帰納法で作劇されているように感じます。地球人にとっては途方もないことでも、宇宙人からすればそうでもないという皮肉の効いたオチは短編の「絶滅の島」でも描かれています。
落語や星新一作品のような読み味でした。
旅人還る
藤子・F・不二雄先生の作品群の中でもとくにスケールの大きい作品です。主人公はフダラク計画というプロジェクトに志願した宇宙飛行士です。
フダラク計画とは亜光速航行とコールドスリープを併用し、一人のパイロットが宇宙の果てを見るという計画です。この作品は全編をとおして、細かいディティールの描写が秀逸です。計画の是非を問う、政治家たちの描写が物語の期待を高めます。
「一人のパイロットが宇宙の果てを見たとしよう。その感激を彼はどうやって伝えるのですか。
百万光年の後方から発したメッセージは百万年かからなければ地球にとどかないのですよ。
いったい人類がこの先何万年存続するとお考えなのか
結局は、そのパイロット一人の個人的体験にとどまるのではありませんか」
「それでいいのです。頂上をきわめるアタッカーは一人で十分です。われわれは……
いや発生以来すべての人類が、この企てのためのベースキャンプを設営してきたのだと考えましょう」
「しかし……こういうとほうもない片道旅行にだれを送ります。これは人道問題ですぞ!!」
「志願者が多くて人選にこまっているくらいです。
井の中からとびだして大海をみたいと願う蛙たちがいっぱいいるのです」
そもそもフダラク計画のフダラク(補陀落)とは仏教用語で南方にある浄土のことで、そこを目指し、渡海する捨身の行のことを補陀落渡海というそうです。生きながらの水葬で、不帰の旅となります。
言い得て妙なネーミングです。計画名に仏教用語がさりげなく出てくるあたりに、藤子・F・不二雄先生の教養の深さと洗練されたセンスが伺えます。
主人公は恋人を地球にのこして、二度と帰らない宇宙の旅に出発します。
観測したデーターを地球に送ったり、体力が落ちないように船内でランニングしたりと、船内での生活が丁寧に描写されます。話し相手はメインコンピューターのチクバ。竹馬の友からとったネーミングなのでしょうか?
主人公は最初のコールドスリープで地球で別れた恋人の夢を見ます。「未練だな」とつぶやくときの無理に作った笑顔が、切なさを強調させます。
幾度かのコールドスリープを繰り返し、地球をたってから何万年かが過ぎます。スターボウを見ても銀河をぬけても、主人公の心は動かなくなります。孤独が彼の感情を乏しくしてしまったようです。
地球から二百億光年離れた状況をチクバが説明します。それでも動かない心を、同じコマを繰り返すことで表現されています。シンプルながらも非常に効果的な演出だと思いました。見ていて辛くなります。
しかし、チクバが最後に地球の映像を見せることを提案すると、主人公は身を乗り出します。針の頭ほどの光線をとらえて、最大限に増幅、補正した地球の映像を見て主人公は涙します。チクバから自分たちの出発から50億年後に地球は滅びたことを告げられます。
泣いた。
意外だった。ぼくに、まだ涙を流す機能が残っていたとは……
二百億年間、たまりにたまった涙を、
ぼくは止めどなく流しつづけた
そして膨張していた宇宙が収束に向かいます。死を覚悟した主人公は最後のコールドスリープに入り、そしてすべてが無に帰します。
その状態が見開きのベタで表現されるのですが、この演出には大きな衝撃を受けました。ここまでの物語のディティールが丁寧に描かれているからこそ、シンプルで大胆な演出のギャップが、読み手の心を揺さぶります。
主人公は最後のコールドスリープから目覚めます。目の前には再生された地球。主人公が地球を出発する日。
彼は恋人と再開し物語は幕を閉じます。
宇宙が無に帰してからの一連の展開は圧巻でした。この物語はSFですが、なにか壮大な神話や宗教観にふれているような感覚を覚えました。畳み掛けるように、でも丁寧に、ラストの一コマに向けて物語が進みます。
再生した地球で再開する場面、このときの恋人の服はすこし破れており、顔も汚れています。いろいろと解釈はあるでしょうが、これは主人公の見ている夢ではなく現実なのだという、作者の明確なメッセージなのだと自分は解釈しました。
主人公が最初のコールドスリープで見た恋人の夢は、再開したときと同じような場所で同じ服を着ています。この夢と差別化をはかるための演出なのではないでしょうか。
そもそも、夢か現実かわからないように描写するつもりなら、脈動宇宙説の説明をする必要はありません。
主人公が出発する日、ロケットまで見送りに行った恋人は、つらくなって出発を見届けずに、逃げるようにその場を去り、転んだのだと推測します。
つねると痛いのが現実ですから、少々怪我をしている姿を描写することで現実なのだと表現しているのだと思います。
そして、セリフなしの絵だけで表現されたラストシーン。
通常、SFの表現媒体として漫画は中途半端であると自分は考えます。SFの細かな設定や科学知識を披露するのなら、漫画より小説のほうが向いていますし、スケールの大きな宇宙船や未来都市を描くのならカラーで動きのある映画やアニメのほうが向いています。
しかしこの作品の場合、傑作たらしめている要因のひとつに、漫画であるということがあげられると思います。
乾いた心を表現する同じコマの繰り返しや、宇宙の終わりを表現する見開きの闇、再開や宇宙の神秘の驚きを表現するラストシーン。 漫画という表現手段の素晴らしさを再認識させられます。
藤子・F・不二雄先生の作品群で、最高クラスの傑作だと思います。